No.3

サリ須戸

私は自分の子供達を育てるときに、ハーフであってもバリ人と同じ事ができるように育てていく決心をしておりました。

幼稚園の頃からヒンズー教のお祈りには必ずいっしょに連れていったし、田舎に帰れば、お供え作りをしているお姑さんのそばにいるようにさせました。 小学校にあがると同時にバリ舞踊を習わせ、お供え作り用のナイフを きちんと持てるようになってからは、お姑さんに簡単なお供え作りから教えるよう、お願いしておりました。そして 高校2年の頃から、オダランの時に踊るチャロナランのグループに入って、寺院の儀式の時には自分の村で踊ったり、よその村の寺院に呼ばれて踊ったりしていました。 ただチャロナランだけは、大変神聖な踊りなので、この踊りを踊るときは、必ずプラダラムの神様に許可を得てから踊るということ、そして生理中は絶対に踊ってはいけないそうです。 このとき彼女達〔双子〕は、プラダラムの神様のシシア(弟子)としての役を踊っておりました。この踊りの怖さは、踊っている人が神懸りになってしまうということです。彼女達は一般にはランダと呼称されて いる面をかぶっている神様の使いとしての役なのですが、踊っているうちに急にもやもやとしてきて、あ〜神様が来るという感覚を最後に何もわからなくなるそうです。 そして見ている人は、彼女達が叫び声をあげて、墓場に身軽に走っていくところを、恐怖にかられながら見ているのです。 そして最後に寺院で聖水をかけられるまでは、全く自分が何をしていたか覚えていないそうです。 意識がしっかりとしてきて、衣装をぬいで自宅に戻る頃から翌日にかけて、太ももとふくらはぎの筋肉が痛くなり、あ〜また走ったんだな?と思うのだそうです。 私もこのチャロナランをプラダラムのオダランの時に見たことがありましたが、本当に皆真剣に見ているのです。 観客でも神懸りになってしまう人もいて、本当に最初の頃はびっくりしました。 現在では観光客用のチャロナランもありますが、このような踊りは絶対に寺院のオダランの時に見られたほうがよろしいです。 バリ島の神秘性、生活の中にいきるバリヒンズー教を感じることができるからです。 ただしオダランの時に踊られると必ず神様が降臨するとは限りません。 この踊りをするためのお祈りのプロセスなどを怠ると、逆に村人をがっかりさせるような時もあり ます。 つい最近も村のプラダラムのオダランがあり、このチャロナランが踊られたのですが、今回はすばらしかったと村人が言っているのを聞いて、あ〜神様が降臨してきたのだなとわかりました。 この踊りは神様が降臨してこなければ意味がないのだな!と感じた次第です。 神様は降臨してくると、人間の身体に入って踊りを踊ったり、自らの使いの役を踊る人間に向かって話をするわけですが、私の子供達も衣装をつけていざ踊りが始まろうとする時に、神様が降臨し直接神様から質問され、返事をした途端に白い布を額に当てられ、そのまま何もわからなくなったと言っていました。 きちんと踊りは始まっているわけですから、彼女達は神懸り状態で踊っていたということです。

自分の生んだ子供が、神懸り状態になるなんて、本当に現実のこととは思えませんでした。 現在彼女達は 既に結婚しておりますが、踊っていたのは高校2年の時から、大学3年までの5年間でした。
このようにバリ島では、日本人の生活感覚から見たら、絶対に信じられないような不思議なことが普通に起きているのです。

バリの人々にとっては、決して不思議なことではないのです。




No.2

サリ須戸

私のバリ島不思議体験は、かれこれ28年前から始まりました。
なんと私の結婚相手の祖父がウブッド周辺では大変有名なホワイト・マジシャン(白魔術師)だったのです。 そんなこととは全く知らずに結婚したのですが、考えてみますと結婚相手の主人とより、祖父との仲のほうがよかったのも 可笑しなことでした。この祖父は、いまだに私の心の中に生きております。右手の親指の爪が15cmくらい 伸びており、それを大いに不思議がりましたら、いろいろと役立つのだよといっておりました。大変ハンサムな顔つきの祖父で、 常に穏やかな笑みを絶やさない人でした。ですが、ひとたび大きな儀式の時に祭司の役をしたり、ブラックマジックにかかった人の 治療をしたりする時は、完全に眼が別人になっており、そのような時は全く人をよせつけない厳しさを漂わせておりました。実はこの祖父の 傍にいたおかげで、バリ島の不思議体験がたびたびできるようになりました。それに大いに近隣の人々から尊敬され、畏怖されていた祖母が、私にだけは 大変甘く、どんなことを聞いてもやさしく答えてくれたことは、いまだに素晴らしい思い出となって心の中に残っております。まずこの祖父は完全に神とお話ができる人でした。

ある日、私のデンパサールの家に遊びに来ていた祖父の目の前で、お手伝いさんが神がかり状態になってしまいました。丁度28年前くらいのことです。初めてのことなので びっくりするやら、心配やらでおろおろしながら騒いでいましたら、厳しい目つきで「何もわからないお前は静かにしていなさい!」と叱られ、黙って後ろに下がって いましたところ、とんでもない場面をみるはめになりました。いつもは大人しい女性のお手伝いさんが、身軽に高いところに座ってしまい、祖父にいろいろと怒りの様子で、指示し始めたのです。 それも古代バリ語というより、サンスクリット語だったのでしょう、私には全く理解できない言葉でした。祖父は下座にすわり、神に接するような態度で返答していました。・・・と突然お手伝いさんが 失神してしまい、私は大いに慌ててしまいました。このお手伝いさんに頼っていた私は、何かあったら仕事ができなくなると、必死になって足をさすったりしておりましたところ、30分くらいたって気がつきました。 彼女は全く何も覚えていなかったのです。後で祖父に説明してもらったところ、新築の家(結婚して初めて建てた家でした)のファミリーテンプルにヴィシュヌー神の御座所がないということで、 ヴィシュヌー神が降臨して、いろいろと指示をしていったとのことでした。その前に主人がオートバイで転んでしまい、前歯が半分かけてしまったり、小さな事故が2、3回続いたのですが、それが神様からの 忠告だったそうです。ところが私達はまだ若かったことと、あまりそのようなことは判っていなかったので、祖父がいるのを見計らって神が直接指示を下したということだったそうです。それが私の不思議体験のはじまりでした。

普通の家庭環境のバリ人よりも、数多くの不思議体験をしているし、黒魔術の恐ろしさを私自身が体験をしました。次回はそのことを綴りたいと思っています。




No.1

サリ須戸

バリ島に住んでいると、日本では絶対に経験できないような事実にでくわすことがあります。大体10年以上 住んでいる方なら、バリ島の神秘性に驚かれた方も少なくないと思っております。
私自身、30年前(丁度1972年6月)に結婚したのですが、ウブドの生活環境は現在とまったく違っていて、 まさに「地上最後の楽園」と言われた時代の延長でした。電灯はなく、石油ランプの生活で、主人の祖父は時計 なるものを知らず、常に時計がわりになるヤシの木を眺め、「今12時半だよ」と言ったりしておりました。 またこれが大体5分とか10分くらいの違いなので、本当にびっくりしました。
またその当時は夜になると道は真っ暗で、出歩くのが 困難でしたが、何とバリ人は暗闇の中で人とすれ違っても 誰だか認識できたのです。これには少なからず驚嘆しました。これは暗闇に眼が慣れていたからでしょうか? 私は何にも見えなかったのですが。
村の生活は、ヒンズー教と生活が一体化したもので、実に毎日が平和的に過ごせました。結婚式や子供の誕生日 (オトナン)があると必ず、トペンダンス、ワヤン・クリット、ジョゲッド・ブンブンなどで大いに賑わい、 夕方になると村の集会所では、子供たちや大人が集まり、踊りの練習やガメラン演奏の練習を行っていました。 その当時のバリの民俗芸能は本当に庶民のものであって、踊り手、演奏者と観客が一体化して楽しんだものでした。 まだ2歳くらいの子供が一緒になって身体を揺すり、手を動かす様をみてバリの文化はこれからも磐石であると いう印象をもちました。
当時の食事ですが、村に帰ると本当に自分の家の菜園でとれたものしか、食卓にでませんでした。私が田舎の家に 帰ると、熟れていないパパイヤの実(これが野菜です)、ナンカの実でつくったお惣菜、これがとっておきの ごちそうでした。そういう野菜がない時はお姑さんがすまなそうな顔をして、目玉焼きをつくってくれて、 それで食事をしたものでした。そういうつつましい生活の中でも、不満というものはなく、大家族が一緒に暮して いる様を見て、私も随分心豊かな暮らしをしたものでした。
そこで現在の暮らしを考えると、この30年間の時代の変化には眼を見張るものがあります。 それが悪いとか良いとかいう問題ではなく、これが時代の流れだと思います。


よもやまトップページへ戻る    トップページへ戻る