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男と女のあいだには
バリに男が住んでいた 寝床で大きく伸びをして 北のベランダ籐のいす どっかり腰を落とし込み
菜っ葉の種でも蒔こうかな ガラムのシケモクくゆらして 何をしようか考えた 何をしようか考えた
あれこれあれこれ考えて 鮪を買い来て捌こうか アヤムカンポン絞めようか きょうも一日過ぎてゆく
…てなことで、バリに来て8年が過ぎ去った。
「終わった国」日本を脱出してきた人間に深い考えなどあるはずもないが、それでも8ヶ月ほどかけて、
それなりの準備をした。
2度目にバリに来たその年(1995年)に土地を買って家を建て始め、翌年に完成させた。
その当時は、妻とまだ結婚していたわけではなく、今から考えると非常に危ない橋を
わたっていたものだ、と思う。(ご存知のように、インドネシア人に名義を借りて車や土地を買い、
騙し取られてしまった例は後を絶たない)
ホテルのフロントで働いていた妻を娶るにあたっては、大変な苦労をした。
妻の母親は普通のバリ人だが、父親は「ラデン」という称号を持つジャワの貴族の末裔で、
陸軍の中佐まで勤めた人である。
どこの馬の骨ともわからない17歳も年上の中年の男に、かわいい娘をよくも嫁に出してくれた
ものだ、と思う。あるいは、日本における私の過去について、妻を通じて包み隠さず話してあった
のが良かったのかもしれない。
何事もずぼらな私は、よく妻に叱られる。たとえば、サンダルをアスファルトにこすりつけるように
してトロトロ歩いていると、「そんな音をたてて歩くのはみっともないし、サンダルの底が早く減って
しまう」とか、「ビールをあまり飲むな(週に2、3回しか飲まないのに)、タバコを止めなさい」
といった具合である。それなりの人生経験をつんできた私でさえ、「むっ」とすることがよくあった。
今でもときどき「むうっ」となる。
8年間外国(バリ島)で暮らしてみて思うのは、どこの国でも女の考えることはよく似ていて変わりが
ない、ということだ。かわいいと思うこともあるし、小憎らしいこと限りなしという時もけっこうある。
「男と女の間には深くて暗い河がある」なのだ。
下に記したざれ歌は、私の知人(70代)、Mさんの日常生活を詠んだものである。
うらやましいと思わないでもないが、この5年間、家族3人病気もせず、仕事もしないで
何とか暮らして来られたのだから、それはおそらく贅沢だと言うべきであろう。
バリに男が住んでいた 闘鶏場をはしごして 海だ山だと張りまくる 東にジャワの娘あり
勝負は時の運なれど 負ければ空しバリの風 西にはクタの十七歳 本妻、若後家、家出妻
夕餉の後にバイアグラ 熱き血潮をたぎらせて 褐色の肌まさぐれば 君死にたもうことなかれ
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